エデンの園での出来事を思い出してください。
エデンの園はどんなところでしたか?…周りが垣で囲まれた庭でしたね。
悪魔はどんな生き物でしたか?…生き物の中で最強に神が創ったものでした。
そして、人は…神が弱く創った子羊のようなものでした。
垣でかこまれた同じ空間の中に最強の悪魔と羊のようにかよわい人間が入れられたことになります。これを神自身が行ったのです。しかも、人間を守る羊飼いのキリストは不在です。
もうここで人間に何の落ち度もないと言うことが分かると思います。
もし、あなたが羊の飼い主だとしたら…狼のいる囲いの中に羊をいれたりしないと思います。
紺碧の線は痛みが安全かつ健全なD G奪う
神は、十字架にキリストを付けたことで慈悲深いかのように見せていますが…創世記のエデンの園ですでに私たちは神にだまされていたのです。エデンの園の出来事は、人を罪に陥れる罠だったのです。
そして、そこで人は、神に捕えられ座らされ、手かせをはめられたわけです。人は、その罪に相当する仕返しを与えられるのです。それは、神のことば、つまり法律です。それですべての人たちの行動を取り締まるのです。
かつて人は本能という声に沿って森の中で自由に生きていました。しかし、神はエデンの園で人をだまし束縛したのです。そして、人はエデンから罰という名目で追い出されたのですが…やはり、神は人につきまとい…法律で私たちを縛り続けているのです。
何が大物
今私たちの置かれている環境を見ればわかります。法律に束縛された人々は、幼稚園から解放されたはずなのに、小学校で束縛され、小学校から解放されたのに中学校で束縛され…大学から解放されたのに会社に束縛され、会社から解放されたのに老人ホームに束縛され、死んで解放されたのに棺桶に入れられ、棺桶から解放されたのに四角い骨壷に束縛され、そのまま解放されることなく頑丈な四角い石の墓に束縛されてしまうのです。すべて法律によって行われました。この法律を誰が打ち破れますか?
誰が最初にピアノを発明した?
自由になるために学校の窓ガラスを割っても、会社の壁を壊しても…法律によって裁かれ…鍵の掛った獄に入れられるだけなのです。だから、大人になるってことは、「自由になれないとあきらめること」「束縛を受け入れること」です。このようになった大人たちを世間では成長した人と賞賛します。それは、支配者である神にとって都合がいいことだからです。しかし、大人たちは、自由になったから落ち着いたのではありません。あきらめたから大人しくなっただけです。ですから、どんな年齢の人も、自由になりたいのです。本当は。
なのに…、キリストはこのように言います。「私が来たのは、律法や予言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するためにきたのです。まことに、あなた方に告げます。天地が滅びない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。」と。法によってどこまでも私たちを縛り続けるつもりです。それが「天獄」なのでしょう。
★宗教で本当に幸せになれるか?という質問の答えは:「幸せ=手かせ」とするなら、答えはYESになる。しかし、皆がイメージしている幸せとは程遠いと言えるのではないでしょうか?
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