第1部 第2章 : ジョン・レノンの思想と宗教の関わり
1970年の作品、「神」の冒頭で'God is the concept by which we measure our pain'(「神とは苦痛の度合いを測る概念である」)と言い放ったジョン。明解な宗教批判であった。そして翌71年の「イマジン」ではこう歌い上げた。'Imagine there's no countries … no religion too'(「国境などないと想像してごらん…宗教もないんだ」)。
これはジョン・レノンと宗教の関係において語られるとき、常に引合いに出されるフレーズである。ジョンは宗教というものを否定していたのだろうか。結論でいえばノーである。だがこの2つのフレーズのために、ジョンが無神論者であったり、宗教そのものを否定していたと見る動きがファンの中にも多く、それは改められねばなならいものである。ここでは、ジョンの生涯と宗教の関係を振り返りつつ、宗教がジョンに
もたらした影響について考えてみたい。
そもそも宗教とは何なのか。
辞書には「心の空洞を医すものとして、必要時に常に頼れる絶対者を求める根源的・精神的な営み。またその意義を必要と説く教え」とある。
西洋人にとって宗教は、我々日本人が考える以上に極めて重要なものである。彼らは「自分とは何か」という根源的な問いを「神との契約」を結ぶことにより解消しようとする。それは神に忠実に生きること、すなわち神から授けられた戒律を守り、神の教えを中心に生活するということである。
代表的な例を挙げてみよう。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にはそれぞれヤハウェ(エホバ)、キリスト、アラーという全知全能の神がおり、その神の指示(聖書やコーランに記された戒律や教義)を倫理・道徳の最大の拠り所とすることにより社会や文化が形成されている。なにしろヤハウェ、アラーは宇宙さえも創った存在なのであり、キリストはヤハウェが人間界に遣わせた神の子である。これにとって代わる存在など絶対に認めてはいけないのだ。海外で続発する、宗教をめぐる様々な事件・紛争をみれば、その重大さがお分かりいただけるだろう。
19世紀以降、科学の発達に伴い生活に占める宗教の重みも多少緩やかになったものの、ジョンが生まれた1940年代はまだまだ伝統・習慣という形で人々の生活を色濃く覆っていた時代である。そのような社会環境下において、両親との別離という悲しい体験を強いられたジョンは、人と同様に神を敬うように教育されても、それを素直に受け入れることはだきなかったのだろう。このような試練、運命を与えた神は恨みこそすれ、すがるべき拠り処には成り得なかったと考えるほうが妥当である。それを裏付けるかのように少年時代には、孤独をまぎらすためか絵本や雑誌などをモチーフに手作りの雑誌「デイリー・ハウル」(「日刊 吠える」)を作ってみたり、空想の世界に浸る事が多かったという。それはジョンなりの自己探求であったと考えてよい。精神分析の世界では、精神的ショック(トラウマ)は幼少期の体験が大きく影響するとされているが、ジョンに芽生えた社会への疑いの眼差しはここから生まれたといって間違いないだろう。
あなたは、ドナルド·ジャクソンによって痛みを感じないでしょう
また親代わりにジョンを育てたジョージ・スミス、メアリー・スミスという厳格な存在(母ジュリアの姉夫婦で伝統的な中流家庭)にも注目したい。
ジョンにとってこの夫妻は、生活上は大変頼りになったが、その二人の価値観は心に深い傷を負ったジョンにとって次第に窮屈で圧迫感を感じるものになっていったことはジョン本人が認めている。人間、特に未成年者は他者から押しつけられる価値観よりも内から湧き上がる感情、もしくはそれを代弁してくれる人物に強い共感を覚えるものだが、ティーンエイジャーになったジョンにとっての代弁者はスミス夫妻でもキリストでもなく、エルヴィス・プレスリーやチャック・ベリー、バディ・ホリーといったロックンローラーであった。そしてロックンロールがジョンの感性を真に目覚めさせ、その思いを外へ発散する機会を作ったのである。
ジョンにとって全ての価値基準はロックであって神や宗教ではなかったのだ。様々な曲折を経て、自らが率いるバンドがロック界の頂点に立ったとあらば、ロックを奏でる自分への信頼感が極大化してもおかしくはない。その意識は66年3月の、いわゆるキリスト発言に如実に表れる。
キリスト教は消滅するよ。消えてしぼんでしまう。
議論の余地はないね。僕の言うことは正しいし証明されるよ。
今や僕らはキリストより人気がある。
この発言はイギリスでは全く問題視されなかった一方で、アメリカではスキャンダラスに報道された。アラバマでの排斥運動、メンフィスでのKKK団による暗殺予告とも受け取れる声明など、その影響はすさまじかった。結果的にジョンは「思い上がりではなく人々の意識を問題視したものであり、イエスとの比較、イエスの卑下では断じてない」と釈明し事なきを得たが、その真意、すなわち「宗教に盲従することへの警鐘」は「宗教を信じない者の、信じる者への謝罪」と捉えられてしまった。
ビートルズ時代のメンバーのインタビューというのは実はそれほど多くない。現在とはメディアの位置付けが全く違っていたし、マネージャーのエプスタインから優等生的な発言をするよう求められていたからでもあるが、そんな中でのジョンのこの発言は突出して際立っている。
しかしながらジョンはこれに懲りなかった。むしろジョンは沸き上がる表現衝動を抑え切れない性格だったから、ビートルズ解散後に高らかに「人間宣言」を行う。これが70年12月発表のアルバム『ジョンの魂』である。この中でジョンは、「悟り」や「神」に顕著なように、宗教にとらわれず、神に頼らずに一人の人間として「個の目覚め」を高らかに宣言した。
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空からイエスが降りてくるなんて ある訳ないだろう
だから こうして泣けるんだ
俺は気づいたのさ
ハレ・クリシュナなんて何の役にも立ちゃしない
君をただおかしくさせといて はかない望みにつなぎとめるだけ
君を見通せる導師なんている訳がない
俺は気づいたのさ
いろんなクスリもやったし 中毒患者も見てきた
イエスからパウロまで 宗教も目にしてきた
クスリなんかに惑わされるな 痛みさえ感じなくなっちまう
俺はやっと気づいたんだよ! (抜粋)
神は 苦痛の度合を測る概念だ
繰り返そう 神とは 苦痛の度合を測る概念にすぎないのだ
僕は 魔法を信じない 聖書を信じない
タロットを イエスを ケネディを
釈迦を 呪文を エルヴィスを ディランを
ビートルズを信じない
僕は自分だけを信じる ヨーコと自分だけ それが現実だ
夢は終わった いま僕は生まれ変わった 僕はジョンだ
だから 親愛なる友よ
僕らは 生きぬかなきゃならない
夢は終わってしまった (一部略)
イマジン
想像してごらん 国家なんてないんだ
むずかしくなんかないだろ?
殺したり死んだりすることもないんだ
宗教もないんだ
想像してごらん みんなが平和に暮らしていることを (抜粋)
何がヤングスーパーマン今夜に起こった
ここではっきりさせておかなければいけないことがある。「イマジン」は「国家のため、政治のために利用され、そのために殺したり死んだりすること、そしてそれを下で支えている、つまり国家・政治に利用される宗教」を批判したのであって('…nothing to kill or die for' は前節のthe countries にかかっており、…no religion, too のtooも、同様の意味を有する)、宗教そのものの否定ではなかった。しかし残念ながら、その真意は誤って捉えられ、一般化してしまった。ジョンが革命を目指す新左翼主義者であると。
この頃ジョンは音楽のみならず政治的な活動も始めており、その影響力は絶大だった。その男にこのような歌を歌われることは、キリスト教を規範に社会を成立させている体制側にとっては許しがたいことであった。ポップミュージックなどに無関心で、偏見に満ちた官僚たちがいかに眉をひそめ、ジョンを危険人物と見なしたかについても、その生い立ちや西洋における社会構造を理解すればよく分かるのだが、それはリリースから30年が経過した現在の視点で判断するから言えるのであって、当時の体制下では到底受け入れられるものではなかったのである。『アビイ・ロード』がヒットチャートを賑わしていた69年終わりにはケネディ、毛沢東とともに「60年代を代表する人物」に選ばれていたジョンが、『ジョンの魂』発売� ��には「つまらない」とされ、「最もうんざりする人物」とまで評されてしまうのである。ほかにも「イマジン」がイギリスでシングルカットされず(ヨーコによれば…no religion…のくだりが問題だったそうだ)、「神」がアメリカの一部で放送禁止になった事実は、これを裏付ける体制側のごく一般的な判断だったといえるだろう。
改めて確認しておく。西洋において宗教や神から独立し、個の絶対性を公言する事は容易ではない。絶対的な孤独であっても、それは神との対話に他ならないのだ。神を排した自己探求は一般的・客観的には宗教を棄てたことに等しいわけで、これは相当に覚悟のいることなのである。ニーチェやサルトルなどはそれを成し遂げはしたが、想像を絶する苦闘(内面における哲学的葛藤および周囲との闘い)の果てに得られたもので、ジョンが時として「哲学者」と紹介されるのはここに理由がありそうだ(例としてグラミー賞・特別功労賞受賞時のリチャード・ギアによる紹介を挙げておく)。
そんなジョンであるが、米政府との政治闘争を経て1973年のアルバム『ヌートピア宣言』発表の際、ヨーコと「ヌートピア」の建国宣言を行う。これは「バギズム」や「ドングリ・イベント」(ともに69年)といったパフォーマンスを、より具体的なメッセージに置換し発信したもので、「ベッド・イン」(69年)や'War Is Over(If You Want it)'(71年)の街頭広告に続く「考えよう」との直接的なメッセージだった。
ヌートピアとは「イマジン」を発展させた思想で、「認識さえすれば良い、民族も宗教も国境も問わない架空の国家」と規定し、国旗はティッシュペーパー、国家は数秒間のサイレントであり、これを認識することで平和実現の足がかりにすると宣言したのである。これは明らかに宗教と捉えてよいものであり、しかも禅の影響下にあるものだが、思想的背景については後述するのでそちらを参照されたい。
この後ジョンとヨーコは様々な行き詰まりなどから別居に入り、1年半後に復縁。75年には長らく続いていたアメリカ永住権問題を決着させ、念願のグリーンカードを取得。さらには愛息ショーン誕生を境に主夫生活に入ることを宣言し、表舞台から姿を消す。そして5年後の80年、『ダブル・ファンタジー』で復帰するものの命を落とすのだが、この時期の作品には決して見逃せない大きな変化が見受けられる。「ビューティフル・ボーイ」でショーンに「寝る前にお祈りしよう」と、「グロウ・オールド・ウイズ・ミー」で「僕らの愛に神の恵みを」と歌っているのである。10年前の作品とは正反対になってしまっているのだが、筆者はこれら2作品を聴くにつれ、この頃のジョンは本当に幸せだったのだろうと思ってしまうのであ� ��。
理由は2つある。ジョンは「自分が自分であること」を常に問いかけ、外にも発信してきたのだが、40歳になったジョンには「自分の存在とはショーンである」という他者性が確立され、親としての喜びが心の底から溢れ出ていたこと。それと幸せな家庭を築けたとの自信、つまり精神的余裕である。
【注…この精神的余裕は将来を考える事にまで及んでいる。「グロウ・オールド・ウイズ・ミー」のテーマは「老い」でもあった。ジョンは世界初のラップ奏者(「平和を我等に」)であるほか、世界で初めて「老後」を歌ったロックンローラーでもあったのだ。なお、他に「人生は40歳から」なる楽曲も存在する。】
人は心に余裕のある時ほど寛容になる。
デビューから約15年。余裕とは程遠い、超多忙な活動を一段落させたジョンは、落着いた幸せな家庭を築きあげた喜びとそこから生じた余裕により、それまで感じていた宗教への距離感を自ら払拭し、寛容になれなかった神に対してさえもその存在を肯定するに至ったのだ。これを大いなる矛盾だとする者もいよう。しかしこれこそがジョンのジョンたる所以なのである。一貫性がなく、支離滅裂で矛盾に満ちた言動の数々も、ジョンという人間を表す象徴的なエピソードなのだ。ただあまりにその影響力が大きいにも関わらず、何でも本音で表現してしまう姿勢がファンを、ひいては社会を魅了し、時には振り回し誤解を招いていたのだが、それこそがジョンの個性でありジョンそのものに他ならなかったのだ(但し、興味の� ��い人間にとってはこれほど理解しがたく、許しがたい人も珍しいだろうが)。
ジョンの生涯とは、このように矛盾に満ちた者のそれに他ならない。この矛盾こそが人間の本質でもあるのだが、それを原罪として改めよとするキリスト教的な視点ではなく、こういった凡夫(ジョンをこう呼ぶには勇気がいるが)を大いに肯定するものに(大乗)仏教がある。我々日本人には大変身近なものである。次章ではこの仏教的な視点からジョンという人物と作品の解釈を試みたい。日本人に愛される、ジョンの魅力の秘密がここにある。
H13.11.22 H.KANDA
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