2.確認被害者と協会認定被害者
1955(昭和30)年の事件発生当時、中毒患者は、食品衛生法に基づいて、診断した医師から都道府県知事に届け出られました。都道府県は患者名簿を作成して活用すると同時に、厚生省に報告し、厚生省は全国の患者名簿として管理しました。
この全国名簿は一旦廃棄されましたが、1969(昭和44)年に事件が再び社会問題化した時に、厚生省は森永乳業から取り寄せて再管理し、ひかり協会設立後の1974(昭和49)年7月に、救済事業の対象者を確定するためにひかり協会に交付しました。
この名簿に登載されている、当時の中毒患者を確認被害者と呼んでいます。その数は名簿によると12,368人(男7,043人、女5,135人、性不明190人)です。
1955(昭和30)年の事件発生時に、厚生省は都道府県衛生部に人工栄養児の一斉健診を指示し、その診断基準として、日本小児保健学会に依頼して作成した「砒素中毒患者の診断及び重症度判定の基準」(藤本論文付表1)を提示しました。確認被害者はこの基準によって診断と重症度の判定をされたもので、飲用時に一定の中毒症状を示していました。ですから確認被害者群は、ひ素中毒については均質性を持った集団ということができます。事件の被害者を代表する条件を備えたグループと考えてよいでしょう。
ところが、事件発覚時に症状が軽快していたり、医療機関で受診しなかったり、受診しても医師が届け出なかったり、いろいろの事情で患者名簿に登載されていない被害者が多数存在することが、守る� �の運動の過程で判明してきました。
守る会は厚生省に、未確認(未登録)被害者を認定すること、認定後は確認被害者と同様に対処すること、そのために確認、認定を問わず、被害者に飲用証明書(被害者手帳)を交付することを要請しました。当時は厚生省に名簿がなかったため、被害者が自ら中毒患者であったことを証明するには、加害企業の名簿に頼るしかないという理不尽な状態だったのです。
厚生省は要請に応え、守る会と協力して大阪府に認定作業を委託し、その経験を生かして、都道府県を窓口として、ひかり協会の認定委員会で面接審査する方式を定め、各都府県に実施を指示しました。こうして認定された協会飲用認定被害者と確認被害者には、厚生大臣の飲用証明書(被害者手帳)が交 付されるようになりました。
ところが協会飲用認定被害者の親族は、事件後20年近い年月を経て、砒素ミルク中毒の症状については鮮明な記憶を欠く場合も少なくありません。したがって認定も飲用の事実を確かめることが中心となり、協会飲用認定被害者と表現しています。この点が事件当時に一定の症状を示したことを条件に診断、登録された確認被害者と違って、摂取したひ素化合物の量を反映する症状の重症度について、協会飲用認定被害者群に均質性を保証することができません。また障害があるため救済事業の対象となることを希望して認定申請した方も多く、協会飲用認定被害者の中には、確認被害者群より高率に障害のある方が含まれています。
1982年3月末現在で確認被害者は12,368人、協会飲用認定被害者は1,029人です。
長々と説明しましたが、既存の資料(死亡診断書)を分析した藤本論文は確認被害者を母集団にしていますが、前向きのコホート調査の田中論文は、確実に追跡できる協会事業対象者を母集団にしていることを理解し、混同しないようご注意いただきたいためです。
3.確認被害者の死亡調査(藤本論文の母集団)
藤本論文の付表2は確認被害者の性別・年齢別分布を示しています。1953年〜1955年生まれが11,870人で大多数を占めています。対象を均質にするために、この0〜2歳の確認被害者を母集団とし、性不明者を名前で判断して、男6,824人、女4,996人を観察対象としています。
1953年〜1955年生まれの確認被害者のうち、厚生省とひかり協会の取組みで543人の死亡が把握されていましたが、その91.2%にあたる495人の死亡診断書記載事項証明書が集められていました。これが分析の資料となっています。(藤本論文表1参照)
495人の死亡者の性別・年齢別分布(藤本論文表2)を見ますと、68.7%にあたる340人が1955(昭和30)年から1959(昭和34)年の間に死亡しています。これはひ素中毒の影響が大きかったと考えられ、死因を分析する場合には他の死因の比重に影響を及ぼします。そこで死亡原因の分析に用いた標準化割合死亡比(SPMR)による分析には、1955年から1959年の間の死亡者を除き、1960(昭和35)年以降の死亡者155人について検討しています。
最高潮の歌詞
4.1960年〜1982年の総死亡率
確認被害者の死亡率が、事件の発生した年に異常に高くなったのは当然ですが、1956(昭和31)年の健診でほとんどの被害児が治癒と判定された後の総死亡率が、一般人口と比べてどうなったのか。これは誰もが抱く関心事ですが、今までは明らかになっていませんでした。
大阪疫学研究会・疫学研究班がひかり協会に提出した委託研究の報告書「森永ヒ素ミルク中毒患者の死亡の実態@@ba52死因の解析@@ba52昭和59年度報告」では、累積死亡率と全死因の標準化死亡比(SMR)を指標にして、1962年(累積死亡率)及び1960年(標準化死亡比)を起点として総死亡率を推計しています。
(累積死亡率の推移)
累積死亡率の計算は、まずコホート生存率を計算し、1から差し引くことによって求めています。図式で表すと次のようになります。
1年生存率=昭和37年の被害者の生存率
2年生存率=1年生存率×昭和38年の被害者の生存率
3年生存率=2年生存率×昭和39年の被害者の生存率
・・・・・
一般人口のコホート生存率は、それぞれ昭和37年の7歳児、昭和38年の8歳児・・・の生存率として計算しています。
コホートとは古代ローマの歩兵隊のことですが、それが語源になって、共通の性質を持つ個々人からなる集団を意味し、疫学研究ではよく使用されます。
図Aは1962(昭和37)年から1981(昭和56)年の被害者と一般人口の累積死亡率の比較を示しています。
男では1962(昭和37)年から1971(昭和46)年までは被害者の方が一般人口より高くなっていますが、1972(昭和47)年以降はその差は小さくなり、1980(昭和55)年、1981(昭和56)年には差が認められなくなっています。
女では1962(昭和37)年は被害者が高くなっていますが、その後差はなくなっています。
(標準化死亡比の推定)
標準化死亡比(SMR)は、被害者群が一般人口の同年齢の死亡率と同じ死亡率で死亡すると仮定して、被害者群の期待死亡数を計算し、実際の死亡数との比を求めて、一般人口より何倍多く死亡しているかを知る方法です。厳密に定義すれば「各期間毎の性別実測全死亡数」と「各期間当初の確認患者の性別人口に、同年の全国の該当年齢の性別、全死因死亡率を乗じて得た期待死亡数」との比となります。
前記の委託研究の昭和59年度報告書では、観察期間を前期(1960年〜1969年)と後期(1970年〜1982年3月)の2期に分けて標準化死亡比を計算していますが(表1)、男では全死因の標準化死亡比は前期で1.15、後期で0.92、全期間で1.0と一般人口と変わりませんでした。
女では前期で0.91、後期で0.96、全期間で0.94と一般人口よりやや低くなりました。
この結果は累積死亡比率の推移とも一致します。
累積死亡率と標準化死亡比を指標にして、被害者の総死亡率を見ると、男では前期で一般人口よりやや高いものの、全期間では全く同一となり、女ではほぼ同じになっていることがわかります。
5.確認被害者の死因解析の方法―標準化割合死亡比
死因については一般人口とどう違うのでしょうか。藤本論文表2では、495人の確認被害者の死亡者の性別、死亡年別の分布を示していますが、事件の発生した1955(昭和30)年から5年間の死亡が340人もあり、全体の68.7%に及びます。その死因は、ひ素中毒及び中毒に直接関連するものが圧倒的に多く、他の死因の比重に影響を与えるため、1960年以降の死亡者155人について死因の解析を行っています。
解析には標準化割合死亡比(SPMR)という方法を用いています。この方法は簡単に述べると、確認被害者群の一つの死因の全死因に対する割合が、全国一般人口の同年齢層の割合と同じと仮定して計算した期待死亡数(E)と被害者の実測死亡数(O)の比O/Eを求めるものです。
藤本論文では、確認被害者の死亡年を、1960年〜1964年、1965年〜1969年、1970年〜74年、1975年〜1982年3月の4期に分けて、各期間毎に「対象者の性・年齢階級別死亡総数」に「全国の性・年齢別の各死因別死亡数の全死因死亡数中に占める割合」を掛け合わせ、その総和を求めて「死因別期待死亡数」(E)とし、実測死亡数(O)と期待死亡数(E)との比O/Eを求めています。このO/Eを標準化割合死亡比(SPMR)といいます。
喜びと痛み
6.高い麻疹、肺炎、先天異常の死亡率
藤本論文の表4・5は、1953年〜1955年生まれの確認被害者の、1960年〜1982年3月までに死亡した155人(男116人、女39人)の主要死因別の標準化割合死亡比を、性別、死亡年別に示したものです。偶然だけで死亡比に有意差が出るのを避けるため、死亡数が男女いずれかで2人以上あった死因に限っています。
全期間の標準化割合死亡比を見ますと、全国値に比べて有意に高くなったのは、男では麻疹5.2、脳及びその他の神経系の悪性新生物11.1、肺炎2.6、先天異常3.0、先天性水頭症20.0でした。有意ではないが脳性麻痺も3.1と高くなりました。逆に低くなったのは不慮の事故(ひ素中毒を除く)0.7でした。
女では脳出血が9.1と有意に高くなりました。また統計学的に有意の差はありませんでしたが、男で有意に高かった麻疹が2.9、肺炎が2.3と高い値を示しました。
死亡年別に各死因の標準化割合死亡比を見ますと、男では、1960年〜1969年において麻疹5.3、脳及びその他の神経系の悪性新生物18.8、先天異常3.3と有意に高く、1970年〜1982年3月には肺炎4.6、先天性水頭症100.0が有意に高くなりました。一方、女では脳出血が両期間とも高い値を示しましたが、有意ではありませんでした。女の死亡数が少ないため、各死因の観察値と期待値がともに小さくなり、標準化割合死亡比から結論を得ることは困難でしたが、男で有意に高くなった死因については、女でも有意ではないが高い傾向を示しました。
著者らは、確認被害者群が示した過剰死亡と過小死亡の原因を次のように推定しています。
「まず、(1)砒素の急性中毒の後遺症として、日常生活の低下、栄養不良、抵抗力減弱、易感染性等の全身的な健康障害が発生し(非特異的影響)、そのため、確認患者が肺炎や麻疹等に罹患しやすく、かつ罹患したときには健康人と比べてより重症化し、過剰死亡 を生じたのではないかと思われる。また、全身機能が低下しやすい先天異常(特に内臓奇形)児の場合、砒素中毒の非特異的影響が重なってくると、児の死亡する危険性が増大し、そのため先天異常の過剰死が見られたと思われる。(2)これらとは逆に男においては不慮の事故、とりわけ交通事故、不慮の溺死で過小死亡が見られた。その理由は明らかではないが、確認患者の日常活動の低下が関与しているのかもしれない」
妥当な見解と思います。
7.高い麻疹、肺炎、先天異常の死亡率
被害者群の健康状態は死亡だけで判断することはできません。不健康であっても死亡に至らない疾病や障害は多く存在するからです。脳性麻痺もその一つです。
藤� ��論文の分析の資料となった、確認被害者の死亡診断書記載事項証明書には、第一死因が脳性麻痺ではないが「その他の身体状況」として脳性麻痺の記載のあるものが多いことが判っていました。そこで疫学研究班では、死亡した脳性麻痺のある被害者の他に、現在ひかり協会が把握している救済対象者に含まれる脳性麻痺のある生存する確認被害者を加えて、脳性麻痺の発生頻度を調べました。
第一死因か否かを問わず、死亡診断書に脳性麻痺の記載のあった確認被害者は、1955(昭和30)年から1984(昭和59)年6月の間に男29人(うち第一死因が脳性麻痺の者は14人)、女11人(同上6人)でした。1981(昭和56)年3月にひかり協会が把握していた、脳性麻痺のある生存確認被害者は男28人、女10人ですから、死亡者と生存者を合計した脳性麻痺罹患者は、男57人、女21人、合わせて78人になります。
したがって、確認被害者の脳性麻痺発生率は、男で出生1,000対8.3、女で4.2、合計6.6と推定されました。把握漏れも考えられますから、これ以上の発生率になる可能性も否定できません。
わが国の脳性麻痺の発生率は、文献では1958年以降、出生1,000対1.3〜1.8と推測されますから、確認被害者では約3倍の発生率になります。
1955年から1981年3月までの期間に、脳性麻痺のある確認被害者は46人死亡しています。標準化割合死亡比で死因を分析した1960年から1981年3月までに限ると、男の死亡5人のみでした。大部分は1955年から1959年の間に亡くなっています。
中枢神経系の疾患である脳性麻痺、てんかん、発達遅延、精神障害などは、最重症者を除いて、少、青年期には直接死亡にいたる疾患ではありません。標準化割合死亡比による分析で、中枢神経系の非炎症性疾患による死亡が有意に高くなかったことは、確認被害者群には、これらの障害をもった人たちが、一般人口に比べて高い比率で生存していることを意味しています。これらの疾患や障害が、加齢とともにリスクの高い変化を起こしてくることが推測されますから、被害者の健康管理には細心の注意を払う必要があります。
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8.アンケート@被害者の前向きコホート調査―田中論文
田中、大島両氏の報告は、ひかり協会の救済事業対象者であるアンケート@グループ(以下「@グループ」と略称します)の被害者を母集団として、1982(昭和57)年4月以降に起きる死亡を把握して分析する、前向きコホート研究の22.3年の結果です。
「@グループ」とは、ひかり協会が救済事業対象者を確定するために行ったアンケート調査の「@協会との連絡を常時希望する人」に該当する被害者のことで、協会事業の対象者になっています。常に協会と連絡を保つ関係にありますから、協会で被害者の状態を把握できます。
調査研究が開始された1982(昭和57)年4月の「@グループ」は6,389人でした。そのうち、1953年から1955年の間に出生した被害者は6,223人で、「@グループ」の97.4%に相当します。ところが、結婚、就職、死亡などの理由で「@グループ」区分から他の区分、例えば「要請があった場合のみ連絡をとるAグループ」や「一切の連絡を必要としないBグループ」に移行した被害者が、2004年12月末までに1,041人(男604人、女437人。「@グループ」の16.7%)あり、また「住所不明のCグループ」に移行した人も118人(男74人、女44人。「@グループ」の1.9%)あって、観察対象から除外しました。こうして、集計対象は5,064人(男3,133人、女1,931人となっています。(田中論文表1)
死因の分析は、ひかり協会が遺族からいただいた死亡診断書の内容を、国際疾病分類第9版に基づいて分類しています。観察期間は1982(昭和57)年4月から2004(平成16)年末日までです。
分析の方法は、観察開始から0〜4年、5〜9年、10〜14年、15年以上と5年毎に期間を区切り、対応する一般住民の死因別死亡率を乗じて、一般住民と同じ死亡率で亡くなった場合の期待値(E)を計算し、実測数(O)との比(O/E)で死亡リスクを求めています。
一般住民の死亡率は、事件が関西以西の地域で発生し、近畿二府四県と岡山県を合わせた地域の在住者が50%に及ぶことから、大阪府の5暦年毎の性別、5歳年齢階級別死亡率を用いています。
また、ひかり協会が1982(昭和57)年から4月に一巡するように計画的に実施した「生活と健康」実態調査の就労状況と喫煙の状況も、死亡との関連で分析しています。
9.1982年から10年間は高い死亡リスク
「@グループ」の死亡リスクを全観察期間にわたって見ますと、22.3年で211人の死亡が把握されました。死亡率は10万人当たり188(男215、女143)でした。同年齢の大阪府民を基準とした全死因による死亡リスクは男で1.2倍、女で1.5倍となって、検定の結果は有意に高くなりました。(田中論文表1)
死因別に見ますと、死亡数で最も多いのは「悪性新生物」で60人でしたが、O/E値は1.1で一般人口とほぼ同じです。部位別に見ても一般の方と変わりはありません。
次に多かったのは「損傷及び中毒」で59人、死亡リスクは有意に高く1.4でした。これは交通事故死が2.0と高かったことによります。
3番目が「循環器系の疾患」で45人、男女計で有意に高くなりO/Eは1.4でした。内訳は急性心不全12人、心不全10人、心筋梗塞4人、高血圧心疾患による心不全1人、心のう炎1人、拡張型心筋症1人、不整脈1人、脳出血7人、くも膜下出血4人、脳梗塞3人、肺血栓1人です。「神経系及び感覚器系の疾患」による死亡は11人で、その内訳はてんかん発作による窒息4人、脳性麻痺による呼吸及び循環不全2人、てんかん発作による転倒に起因する頭蓋内出血1人、脳性麻痺に起因する心不全1人、筋萎縮性側索硬化症1人、筋ジストロフィーによる心不全1人、デュシヤンヌ型ジストロフィー1人でした。男女とも有意に高い死亡リスクでそれぞれ5.3と5.6もありました。
各死因の死亡リスクの詳細は田中論文表1にありますが、件数が各々1人で表1の死因別集計に計上していない死亡が11人あり、その内訳は原発性血小板減少症1人、急性腎不全1人、慢性腎不全1人、妊娠・分娩に続発する合併症1人、頓死1人、死亡診断書の入手ができなかった原因不明の病死6人でした。
観察期間を5年区切りの4期に分けて、O/E値を求めた結果が田中論文の表2に示されています。全死因では、0〜4年で2.1、5〜9年で1.8と観察開始10年間で高くなり、10〜14年で1.2、15年以上で1.1と減少し、一般住民と変わらなくなります。「神経系及び感覚器系の疾患」は10〜14年の期間に、「循環器系の疾患」は5〜9年の間でO/Eが有意に高くなっています。
10.高い非就労者の死亡リスクと、就労者は一般と同じ
ひかり協会は、1982年から4年間で一巡する計画で「@グループ」の「生活と健康」実態調査を実施してきました。調査は面接を基本に、詳細に実情を把握できるよう配慮されました。その中で、1982年から1984年の間の就労状況を調べました。男では3,133人のうち3,084人(98%)の就労状況が把握できましたが、非就労者は352人(11.4%)ありました。
田中論文表3は男女別に、就労者と非就労者の死亡リスクを示したものですが、男の就労者は、全死亡リスクについては、全観察期間を通じて一般住民の0.9倍とやや低くなりました。有意の差はありません。ところが非就労者は、全死亡リスクが全観察期間を通じて3.3倍と有意に高くなり、死亡原因も「神経系及び感覚器の疾患」36.7、「循環器系の疾患」3.7、「呼吸器系の疾患」5.7、「損傷及び中毒」3.4で有意に高い値を示しました。
田中論文表4は、観察開始から期間別に、就労者と非就労者の実測死亡数(O)と期待死亡数(E)の比を示しています。男では非就労者のO/Eは、0〜4年で5.0倍、5〜9年で5.2倍と高いだけでなく、10〜14年で3.9倍、15年以上で2.3倍と減少しつつも、まだ有意の高さを保っています。非就労者の高い死亡リスクが、「@グループ」の観察開始から10年間の死亡リスクを押し上げていたのです。
1982(昭和57)年の被害者の平均年齢は27.4歳です。この年齢での非就労は、救済事業で被害者と接触してきた経験からも、働けない障害を持つためと考えられます。
死亡リスクで見ると、「@グループ」の死亡リスクが高いのは、就労できない障害のある被害者の死亡リスクが著しく高いためであり、減少しているとはいえ、なお高い死亡の危険性を持っていることがわかります。一方就労している被害者は、その中に軽度の障害や疾病を持っている人を含みながらも、一般住民と同じか、少し低い死亡リスクで推移していることも明らかになりました。これは非常に重要な事実です。
女では1,931人のうち非就労は1,424人(74%)もあります。結婚や子育て中の年代でもあり、健康者の非就労が多いのは当然で、非就労と障害の有無との関係は不明確です。
女の非就労者の死亡リスクは、全観察期間で一般住民の1.4倍ですが、有意の差はありませんでした。しかし、「神経系及び感覚器の疾患」による死亡リスクは一般住民の7.5倍で有意の差があり、やはり中枢神経系の障害のある方の死亡が多かったと推測されます。
女の就労者の死亡リスクは、観察開始から15年以上で有意に高くなり、O/Eは2.1でした。非就労者では0〜4年でO/Eが2.4と高くなっています。その理由は、統計上の数字だけでは定かでありませんが、各ケース毎の死亡診断書以外の情報を併せて検討する必要があるでしょう。
11.喫煙状況
ひかり協会の「生活と健康」実態調査では、喫煙の状況を調べています。1982年から1984年では、男の喫煙者は1,855人ありましたが、肺がんによる死亡リスクが2.6倍と有意に高くなりました。非喫煙または禁煙者の肺がんによる死亡はありませんでした。(田中論文表5)
非喫煙者では、「神経系及び感覚器の疾患」による死亡が8.7倍と高くなっていましたが、これは障害のある被害者が一般に喫煙をせず、非喫煙群に入っているためと考えられます。
女の喫煙者は190人と少なく、死因に対する影響は見られませんでした。
おわりに
藤本論文では、確認被害者の死亡率は、ひ素中毒の直接的影響を受けて異常に高くなった5年間を除いて、1960年〜1982年3月までの間は、累積死亡率でも、標準化死亡比でも、全国一般人口の同年齢階級と比較して、男では前期10年間はやや高かったものの、1982年3月までの全期では男女ともに差は見られませんでした。しかし、死因別に見ると、麻疹、肺炎、先天異常、中枢神経の悪性新生物、脳出血(女)などが一般人口より有意に高い標準化割合死亡比を示しました。
一方、田中論文では、「@グループ」を対象に、1982年4月から22.3年間を追跡し、観察開始後10年間は同年齢階級の大阪府住民に比べて、実測数対期待数で表した死亡リスクが高く、10年以後は次第に一般住民の死亡リスクに近くなることを示しました。また男について、1982年〜1984年の就労者と非就労に分けて分析すると、就労者では大阪府民と変わらず、非就労(352人)で著しく高いことが判明しました。
両論文をお読みになった方は、確認被害者の死亡率が、1981年には全国一般人口と同じになっていたのに、「@グループ」では1982年から高くなって、それが10年間続いて徐々に一般住民と同じレベルまで収斂することに疑問を持たれたと思います。
藤本論文も田中論文も、ともに大阪疫学研究会・疫学研究班の連続した研究の報告です。比較対象が全国一般人口か大阪府住民かの違いや、既存資料による死亡分析か、前向きコホート研究かの相違はありますが、最も大きな要因は、観察対象とした集団の違いと考えられます。
藤本論文の対象は確認被害者ですが、田中論文の対象は「@グループ」です。前向きコホート研究では、確実に追跡することが可能な対象集団でなければなりません。
「@グループ」は、被害者総数の約2分の1で、確認被害者と協会飲用認定被害者が共存しています。1982年現在では前者が5,507人、後者が711人です。
私達の経験から推測しますと、「@グループ」には、障害や不健康があって、救済事業を期待する被害者が多く入っています。さらに協会飲用認定の被害者も約7割が「@グループ」に入っており、その割合は11%余りになっています。その方々の中には、障害があるために認定を希望した被害者が多く存在します。したがって、「@グループ」は、確認被害者群に比べて、障害や疾病を持った被害者の密度が高い集団になっています。
田中論文では、男の就労者の死亡リスクが大阪府住民の死亡リスクと変わらないことを指摘していますが、これは藤本論文の、確認被害者の総死亡率が全国一般人口と変わらなくなっていることと符号します。
大阪疫学研究会・疫学研究班の、委託研究の昭和59年度報告書では、1982年と1983年の「@グループ」の死亡者を、確認被害者と協会飲用認定のグループに分けて、それぞれの標準化死亡比を計算すると、確認では男1.26、女0.51でしたが、協会飲用認定では男3.85、女9.09でした。「@グループ」の1982年から10年間の高い死亡リスクは、「@グループ」の構成に原因するところが大きいのではないかと思います。
しかし現在は、この事件の被害者を代表する集団の追跡体制は不可能です。唯一追跡観察できる「@グループ」から得られる情報を通して、ひ素ミルク中毒の健康被害の実態を分析、検討しなければなりません。
その一歩として、両論文が貴重な事実を明らかにした意義は大きいと言わねばならないでしょう。
懇談会でも指摘されているように、発育歴や臨床所見など死亡以外の情報も併せて、個々の死亡被害者について検討し、統計的数字では解析できない実態を明らかにしていくことが必要です。
また、少、青年期には死亡に至らない疾患である、最重� ��者を除く脳性麻痺、てんかん、発育遅延、精神障害などの中枢神経系の変化が、加齢とともに変化して、死亡リスクが高くなることも考慮しなければなりません。
「@グループ」の死亡リスクが観察開始後10年を過ぎて、大阪府住民と同じになっても、なお非就労者群の死亡リスクは有意に高いことからも、障害のある被害者の健康管理には細心の注意を払う必要があります。
両論文は今後のひかり協会の事業のあり方に貴重な教訓を遺し、今後の実態究明の方向づけにも示唆を与えていただきました。御報告下さった研究者の諸先生に深甚の謝意を表します。
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