パソコンの横に本を積み上げたり、友人たちに電話をしてたずねたりしているようでは、理解というにはほど遠いのかもしれません。
それでも、沖縄に住んでいたこともありますし、現在も友人たちが大勢住んでいるわけですので、沖縄の過去と現在と、そして行く末に無関心ではいられません。
三線は楽器です。音を鳴らす楽器です。三線を演奏するためには、歴史を知る必要はありません。基地に反対する必要もありません。海が汚れることや、ゴミ問題や、離島の医療について無関心であっても、三線の練習はできます。
でも、沖縄に関わりのある者としては、三線愛好家のみなさんには沖縄についても関心をも� �ていただきたい。三線や沖縄音楽への関心と同じだけ、とは言いません。ほんの少しでもいいから、気にしていて欲しいと思うわけです。
「じゃあ、このHPでも、どんどん書けば?」
「それがですね。ちょっと怖いんですよ」
ヘザーヘッドリーはどこに生まれた?
怖い理由、その1
私自身が、それほど勉強できていないという点。はっきり言って、歴史や基地問題などについて質問されると、答える自信がありません。自信がないくせに、答えられないということに、とても嫌悪感を覚えます。そのうえ、自分が公開しているHPでまったく触れないでいることは、自分の心が許さない。ということで、わからないなりにときどき書くようにはしています。
怖い理由、その2
問題が複雑で、きれいにまとめることができません(このHPの中で「きれいにまとめられた文章」というのが一つでもあるのか?見せてほしいもんだね。なんて言わないでください)。それに、考え方の違いで議論になっても� ��ります。そういう逃げ腰じゃあだめだろうと叱られるかもしれませんが、このHPの目的を考えれば、政治や歴史観について議論する場所としてはなじまないと思うのです。
ブランデーどんな細かい女の子の歌詞
怖い理由、その3
読んでくださるみなさんが、はたして関心をもっておられるのか、あるいは関心をもってくださるのか。せっかく音楽を通して、沖縄に関心をよせていただいているのに、ここで歴史や基地の問題を大きく取り上げることで、みなさんの気持ちを遠ざけてしまわないかという心配をしているんです。ということで、書くときには、歌に絡めてみたりしながら、やんわりと書くようにしています。
でも、あまり怖がる必要はないと思い始めています。
以前、このHPにも掲示板がありました。その掲示板の投稿を読んで思ったのです。投稿してくださるみなさんは、ただ「音楽で楽しもう」だけではないん� ��なあと。考え方の違いや興味関心の方向や対象や強さは違っていても、やはり沖縄のことを考えてくださってます。
そのことに気づきましたが、だからといって、このHPの内容が変わるわけではありませんが。とにかく、書きたいことを書いても大丈夫だとわかりました。
"ここで我々は再びです"
できる限り正確に、誠実に書くことが大切であって、あとは読み手であるみなさんを信じていればいいんです。だから、私自身の沖縄についての不勉強を恐れることはないんですね。
歴史観や政治思想も気にしなくてよさそうです。みなさん、その違いをきちんとわかってくださって、私の文章を一つの意見として見てくださるでしょう。考え方が甘いという批判もあるかもしれませんけど、そのような批判をしていただけるなら、そのことを喜ぶべきでしょう。
みなさんが沖縄の問題に関心をもっているかどうかを心配しなくてもいい。そうでない人も、三線を手がかりにして、きっといつか沖縄のことを考えてくださいます。
沖縄への関心が� ��で、その後で三線を手にするようになったのか、それとも、歌三線を楽しんでいる間に、沖縄への関心が強まったのか、それはどちらでもいいんです。大切なのは、みなさんの関心が「歌三線だけ」じゃないということです。先か後か、早いか遅いかの違いだけです。
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